ガマンすることを学ぶということ
昨日の親の会も多くの方にご参加いただきました。ありがとうございました。
午前、午後の二部構成で長時間となりましたが、私(勇文の父です)自身は日頃考えている、まとまり切れていない思いを少し聞いていただくことができた会となりました。ご参加いただいた皆さんはいかがでしたでしょうか。十分に話したいことを話すことができましたでしょうか。
親の会は何かの答えを求めてこられる方もおられる一方で、とにかく話を聞いて欲しいという思いで来られる方も多いと思います(私もそうです)。長時間になったとはいえ、皆さんのお話を全てお聞きすることはできず、もやもやとしたまま終わってしまうことも多いと思います。毎回、どうすればよいか試行錯誤はしておりますが、上手な運営ができない点はご了承いただければ幸いです。
さて、前置きが長くなってしまいました。以下本題です。
今回の親の会で、blogのタイトルにもしましたが「世の中にでるとガマンが必要となることも多く、子どもにもガマンをな学んでほしいと思っている」という話がありました。確かにその通り、社会人である我々(親)が日々大変な思いをしているという慰め合いのような展開ではありましたが(笑)、ガマンしてでもしなくてはいけないこととは何でしょうか。
辛いことや、やりたくないこともやらなければならないときは確かにあります。社会に出るとそんなことばかりのような気もします。でも、本当にしなければいけないガマンとは、我々が日々経験しているガマンではないような気がしました。なんだかそれは無駄な方のガマンだなと感じたのです。
自分がやりたいことがあって、目標に到達したくて、そのために努力してあきらめずに少しガマンして続ける。他のことをガマンしてでもやる。こっちのガマンは子どもが学ぶべきこと経験すべきことなのではないかと、帰ってから考えました。
自分のために努力できる人になって欲しいと思います。
自分のことを棚に上げて、そんな思いで見守りたいと思います。
(父)